千葉で相次ぐクジラの漂着

千葉県の海岸で、クジラの漂着が相次いでいます。
大きなクジラが砂浜に横たわる映像や写真を、ニュースやSNSで目にした人も多いのではないでしょうか。
千葉県九十九里浜の匝瑳市(そうさし)沿岸に、体長約17mのナガスクジラの死骸が漂着したのは9月19日のこと。そのわずか11日後の9月30日、再び同じ海岸に巨大なクジラが漂着したことが報じられました
🔗2頭続けて同じ千葉・九十九里浜に漂着…!巨大クジラ「希少種の可能性も」解体&潮吹き現場写真🔗
こうした出来事が起きると、
「地震の前兆ではないか」
「海水温の変化が原因ではないか」
「海流がおかしくなっているのではないか」
「人間の海洋開発が影響しているのではないか」
さまざまな話が出てきます。
どれも可能性として考えることはできる。
でも、現時点で原因が分からないことを、分かったように語ることはしたくありません。
原因が分からないからといって、分からないままでいいわけではない。
なぜクジラたちはここへ来たのか。
海で何が起きているのか。
答えを決めつけるのではなく、分からないからこそ調べ、考え続ける。
今回のクジラたちは、そんなことを私たちに問いかけているようにも感じます。
そんなきっかけになる出来事なのではないでしょうか。
クジラの漂着「ストランディング」
クジラやイルカなどの鯨類が、生きたまま海岸に乗り上げたり、死亡した状態で海岸へ流れ着いたりすることを「ストランディング」と呼びます。
ストランディングは、現代になって突然始まったものではなく、昔から世界各地で確認されてきました。
原因についても、病気や衰弱、餌を追って浅い海へ入り込むこと、海流や天候、地形、群れの行動など、さまざまな可能性が考えられていてクジラが漂着したからといって「海で異常事態が起きた」と単純に結びつけることはできないし、一つの原因だけを取り上げて「これが原因だ」と決めることもできません。
今回のような出来事が起きたときこそ、海の中で何が起きているのか、一度立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。
海は確実に変化している
海は、ずっと同じではありません。
海水温が変わり、海流が変わり、餌となる生物の分布も変わる。
地球はもともと大きな変化を繰り返してきた星なので、そのすべてを人間のせいにすることはできません。
一方で、今の海には自然の変化だけではなく、人間の活動によって生まれた変化も多く存在します。
船舶による騒音、漁業、海洋ごみ、化学物質、沿岸開発、海底で行われるさまざまな事業。
それらが今回の漂着の原因だと言いたいわけではありません。
証拠がないからです。
でも、人間がまったく関係していないとも言い切れない。
だったら、最初からどちらかに答えを決める必要もないのでしょう。
自然による変化なのか。
人間による変化なのか。
いくつものことが重なった結果なのか。
海の中で起きていることの多くを、私たちはまだ知らない。
そのことを忘れずにいたいと思います。
地震の前兆なのか
クジラやイルカが漂着すると、必ずと言っていいほど出てくるのが、
「大地震の前兆ではないか」
という話です。
過去の大きな地震と鯨類の漂着を関連づけた話を目にすることもあります。
地球上には、人間がまだ理解できていない動物の能力がたくさんあります。
クジラやイルカが、人間には感じ取ることのできない何かを感じている可能性だって、最初から否定する必要はないでしょう。
ただ、「クジラが漂着したから地震が来る」と科学的に証明されているわけでもありません。
可能性を考えることと、可能性を事実にしてしまうことは違う。
これは地震だけではなく、今回考えられるすべての原因について言えることだと思います。
海流なのか、海水温なのか、餌なのか
クジラは広大な海を移動しながら生活しています。
当然、その行動は餌となる生物の分布や海水温、海流と無関係ではありません。
魚を釣る人なら分かりやすいかもしれません。
少し水温が違うだけで、それまでいた魚がいなくなったり、今まであまり見なかった魚が現れたりする。
海の変化は、そこに暮らす生き物の動きにつながっていきます。
海が変われば、魚が変わる。
魚が変われば、それを追う生き物たちも動く。
その先に、クジラやイルカがいる。
私たちが海面から見ている「いつもの海」と、海の生き物たちが感じている海は、同じではないのかもしれません。
それが今回の漂着と関係しているのかは、まだ分からない。
だからこそ、一度の出来事として忘れてしまうのではなく、これからも見ていくことに意味があるのだと思います。
私たちは、たくさんの命から恩恵を受けている

人間が海に与える影響について考えていると、もう一つ思うことがあります。
私たちは海だけではなく、この地球にあるものから、とてつもなく大きな恩恵を受けながら生きています。
魚を獲って食べることもそう。
動物や植物から食べ物や薬を得ることもそう。
海を渡り、資源を使い、自然の仕組みを研究し、それを利用して新しいものを作る。
そして、その発展の裏側には、たくさんの「命」と「死」があります。
人間自身も同じです。
かつて助けることのできなかった病気が、今では治療できることがあります。
では、なぜ治療できるようになったのか。
そこには、その病気で亡くなった人たちがいて、その死を調べ、原因を探し、研究を重ねてきた人たちがいる。
救えなかった命があったからこそ、次の命を救えるようになった。
誰かが亡くなることを、科学のために必要だったと言いたいわけではありません。
そうではなく、
起きてしまった死から何かを学ぼうとしてきたから、人間はここまで進んできた。
自然環境も同じなのかもしれません。
生き物が減る。
死んでしまう。
今までいた場所から姿を消す。
そこで初めて、
「なぜだろう」
と考える人が現れる。
原因を調べる人が現れ、環境を守ろうとする人が現れ、今までより良いものを作ろうとする人も現れる。
皮肉なことだけれど、何かを失って初めて気づくことは、人間にはたくさんあります。
だからこそ、
失われた命を「かわいそうだった」で終わらせないことも、その命から私たちが受け取れるものの一つなのではないでしょうか。
命そのものだけではなく、その命が残してくれたものから学ぶこと。
今回漂着したクジラたちについても、私はそう考えています。
原因を探すことと、犯人を探すことは違う
環境の話になると、ときどき誰かを悪者にしたくなります。
漁業が悪い。
船が悪い。
車や飛行機が悪い。
発電が悪い。
開発が悪い。
でも、そこで誰かを批判して終わってしまったら、何かが変わるのでしょうか。
漁業で得られたものを食べ、船で運ばれてきたものを使い、車や飛行機で移動し、発電された電気を使って、私たちは生活しています。
スマートフォン一つとっても、世界中から集められた資源と、多くのエネルギーがなければ手元には届きません。
私たちは、誰かを批判する一方で、その人たちの仕事や技術によって便利な生活を送っている。
そのことも忘れてはいけないと思います。
だから、「誰が悪いのか」だけを探すのではなく、
「自分には何ができるだろう」
と考えることも必要なのではないでしょうか。
生活を激変させる必要なんてないと思います。
車を捨てる必要もない。
電気を使わずに暮らす必要もない。
飛行機にも船にも乗ればいい。
ただ、必要のないアイドリングを少し減らす。
誰もいない部屋の電気を消す。
食べ切れないほど買わない。
買ったものを簡単に捨てない。
使えるものを、もう少しだけ長く使ってみる。
一人がやったところで、海は変わらないかもしれません。
でも、
「一人がやっても変わらない」と世界中の人が思った結果が、今なのかもしれない。
大きなことをしなくてもいい。
完璧な環境活動家になる必要もない。
昨日まで普通にやっていたことを、一つだけ変えてみる。
それくらいなら、できる人も多いはず。
誰かを責めるより、自分にできる小さなことを一つ。
鯨類が好きな人間にとって、クジラやイルカは、ある意味アイドルのような存在です。
今回のクジラたちの死が、そのきっかけになるだけでも意味があるのではないでしょうか。
「珍しいクジラがいる」で終わってほしくない
今回、どうしても違和感を覚えたことがあります。
漂着したクジラを見に行き、その写真や動画をSNSへ投稿する人たちの姿です。
珍しいクジラが漂着したと聞けば、実際に見てみたいと思う気持ちは分からなくもありません。
でも、そこにいるクジラが弱り、今まさに死を迎えようとしているとしたら。
そして、その答えが人間にとって都合のいいものだとも限りません。
その姿を見に行きたい。
写真を撮りたい。
一緒に記念写真を撮りたい。
そこまで気持ちが向かうことが、私にはどうしても理解できません。
中には、漂着したクジラを背景に、子どもにピースをさせて写真を撮る姿までありました。
そこにいるのは、観光名所でも展示物でもありません。
つい先ほどまで大海原を泳いでいたクジラが、今まさにその命を終えようとしている場所です。
研究や救助、報道、そして記録として残すための撮影とは、まったく違う。
「珍しいから」
「SNSに載せたいから」
もしそれだけの理由なら、ほんの少しだけカメラを下ろして、そのクジラを見てほしい。
そして、
「なぜ、このクジラはここにいるんだろう」
そんなことを考えてもらえたらと思うのです。
中には、漂着したクジラを背景に、子どもにピースをさせて写真を撮る姿までありました。
そこにいるのは、観光名所でも展示物でもありません。
つい先ほどまで大海原を泳いでいたクジラが、今まさにその命を終えようとしている場所です。
「かわいそう」とSNSに投稿する前に、
なぜ、このクジラはここにいるんだろう。
そんなことを少しでも考えてもらえたらと思うのです。
クジラたちの死から、何を受け取るのか

今回の漂着の原因は、今のところ分かりません。
海流なのか。
海水温や餌の変化なのか。
病気や衰弱なのか。
人間の活動が何らかの形で関係しているのか。
あるいは、私たちがまだ知らない何かなのか。
地震との関連だって、証拠がない以上「そうだ」と言うことはできません。
だから、どれか一つを答えにする必要もない。
分からないものは、分からないままでいい。 でも、考えることまでやめなくていい。
短い期間に同じ地域でクジラの漂着が続いた。
だったら記録して、調べて、過去と比べてみる。
海で何か変わっていないか。
そして私たち人間が、その変化に関わっている可能性はないのか。
考えてみる。
人間はこれまで、たくさんの命から学び、その恩恵を受けてきました。
今回のクジラたちの死も、
「珍しいクジラが打ち上がった」
「かわいそうだった」
「写真を撮った」
それだけで終わらせてしまったら、あまりにも寂しい。
なぜ、このクジラたちはここへ来たのだろう。
海で何が起きているのだろう。
答えは、すぐには出ないかもしれません。
それでも、このクジラたちの死をきっかけに、一人でも海について考える人が増える。
誰かを責めるのではなく、自分の生活を少しだけ振り返ってみる。
そして一つでも、自分にできることを始めてみる。
その一つ一つは、とても小さなことかもしれません。
でも、
大きな変化というのは、きっと最初から大きかったわけではない。
一人の「少しやってみよう」が増えて、いつか大きな変化になる。
もし、このクジラたちの死がそんなきっかけの一つになるのなら。
私たちは彼らの死から、ただ悲しみだけを受け取ったわけではないのかもしれません。

